どこかの薪ストーブ業者のウェブ広告で、「非日常を日常にする」的なコピーを見たことがあります(逆に、日常を非日常~だったかもしれませんが似たようなものということで)。
この広告を見た時、私は大きな違和感を感じました。
非日常を日常にするというのは極めて贅沢なことであり、それを可能にするというのは訴求力がありそうです。しかしながら、非日常を日常にするのは問題があると私は思うのです。
本ページでは、薪ストーブを日常にしようと導入を考えている方。もしくはすでに日常にしている方に、考えていただくきっかけになればと思い書きました。
私は説教をするつもりはありませんし、薪ストーブを愛する気持ちを否定するつもりもありません。あくまで考え方の一つとして、ニュートラルな気持ちで読み&考えるきっかけになれば幸いです。
非日常は、日常にできないから非日常
「日常」は誰にでも分かる概念ですね。対して「非日常」は人によって考えが変わりそうですので、まずはそちらについて考えたいと思います。
非日常とは!?
日常ではないことですが、例えば以下の様なものが例に挙げられるでしょうか。
- 旅行に行く
- 映画を見る
- コンサートを見に行く
- スカイダイビングをする
- 花火をする
- バーベキューをする
- キャンプをする
- スポーツをする
人によって多少異なりますが、普段の生活ではできない・やらないことが非日常と考えられます。
非日常は代償が必要
非日常の行為は、大抵のケースではワクワク・ドキドキ・楽しい・気持ちよいなど感情が伴う「快」なものです。
それを行うには何らかの(しかもそれなりの)コストを払う必要があります。コストは金銭イメージが強いので、本ページではあえて「代償」という言葉を使います。
代償の内、もっとも分かりやすいのは時間とお金でしょう。それらがあれば、ほぼ何でもできますからね。
付随して非日常行為は、音・振動・臭い等が発生することもあります。それらで犠牲が生じないよう、キャンプやバーベキュー、スポーツなどは専用施設で行うことが一般的です。
日常にできないから非日常
非日常な行為をする上で、これまでに3つの要素が出てきました。
- 時間
- お金
- 場所
他にも要素はありますが、この3つは大抵の非日常において要すことになります。
改めて考えると、非日常を日常にすることは難しいと思いませんか?お金持ちで時間もあればある程度自由に出来そうですが……。
逆に考えると、日常的にできないからこその非日常なのかもしれません。
「非日常を日常にする」のキャッチコピーが魅力的に感じる人は多いと思います。それはとても贅沢なことだと、すでに理解しているということなのかもしれませんね。
無理に非日常を日常にすると起こりうること
先ほどの通り、非日常な行為は時間やお金がかかるものも多く、なかなか日常にはできません。下手をすれば生活が破綻してしまう可能性があるからです。
しかし無理をすれば、非日常を日常にしてしまえるものも中にはあります。
無理にでもやろうと思えばできる非日常
例えば以下のような非日常は、やろうと思えば日常にできなくもありません。
- キャンプ→庭でやる
- バーベキュー→庭やベランダでやる
- スポーツ→敷地内や道路でやる
キャンプはキャンプ場、バーベキューはバーベキュー場、スポーツは野球場やバスケットコート、テニスコートなど、専用の施設があります。
それらへ行く時間や交通費・利用料が大きな代償ですので、家でやってしまえばそれがかかりません。したがって(お勧めできるものではありませんが)日常的に出来てしまうのです。
無理をすると代償を周囲に強制させることも
キャンプはキャンプ場、バーベキューはバーベキュー場、スポーツは専用施設があるのはなぜか。先ほども挙げましたが、音・臭い・振動などが発生するからです。
それらの施設は、専用施設なので適した場所にあります。利用者は音・臭い・振動などの代償も当然受け入れる前提で利用するものです。……キャンプ場でたき火臭いなんて誰も言いませんよね。
しかしながら、家でそれらを無理に強行するとどうでしょうか。発生する代償は周囲の家も払わないといけません。しかも合意すらなく、周囲の家を強制的に巻き込むことになります。
マンションのベランダバーベキューが一時問題になりました。また、道路族もこの問題に関連していると考えられます。
非日常を日常に持ってこられるのは特別な環境のみ
このような非日常を、うまく日常とするためにはどうすれば良いでしょうか。考えてみると、以下の条件を満たせれば問題は無さそうに思われます。
- 自分で代償を払う
- 人に代償を一切払わせない
例えばバーベキューを日常にできる環境を考えてみます。住宅地なら敷地が超広大か、狭くてもぽつんと一軒家であればこの2つを満たせるかもしれません。
しかしこれはかなり特別な環境ではないでしょうか。
そんな特別な環境を持っていれば、バーベキューを日常的にできそうです。しかしそうでない多くの環境では、非日常にとどめておかないと各種問題が生じる可能性があります。
各種問題とは何か。例えばあなたの隣人が、狭い敷地で毎日バーベキューをしだして止めてくれない……と想定すれば自ずとわかるかもしれません。
住宅地で薪ストーブを日常にするということ
最後に薪ストーブを話題にしますが、これまで同様、バーベキューを例にすることがあります。
「薪ストーブとはバーベキューは全く違うものだ!」と思われる方もいるかもしれません。
確かに臭いの出方などはちょっと違うのかもしれませんね。しかしながら、根本的な問題としては同じであることを、本項を読むことで少しでもご理解いただければ幸いです。
代償の払いは周辺住民
薪を焚くことは住宅地(特に非寒冷地)では非日常です。それを日常に持ち込むことで発生する代償が、ご存じの通り煙&臭い&薪を切ったり割ったりする音・振動など。
もちろんこれらは周辺住民が払うことになります。特に風下の家の負担が多くなります。
きちんと設置された高性能な薪ストーブで充分に薪を乾燥させれば、煙も臭いも少ないはず
これはそうかもしれませんし、そうでないかもしれません(後述します)。
しかし、臭いを迷惑と感じるかどうかは周辺住民です。もし迷惑と感じたとすれば、心情的には納得しづらいことの理解は持っていただければと思うのです。
根本にあるのは、払わなくてもよい代償を強制されていること
では何が納得できないのでしょうか。もちろん直接的には煙や臭いな訳ですが、根本的に考えれば少し違います。
それはこうです。
住宅地での非日常である薪ストーブを日常にされることで、払わなくてもよい代償を強制的に払わされていること。
これが根底にあります。ですので、「薪ストーブは適切に使えば煙も臭いも少ない」というのはそういう問題ではないのです。もちろん煙は少ない方がいいですが、論点が違います。
薪ストーブは趣味性が高いものですので、人に代償を払わせない場所でやってほしい。百歩譲ったとしても非日常の範囲で使ってほしいと思うことに論点があると思うのです。
百歩譲ってのくだりは私個人の考えです。譲り難い人もいるかもしれません。
住宅地であなたの隣人が毎日バーベキューをしだしたとします。「近隣への配慮のため、炭火ではなくガス火なので臭いは少ないです」と言ったとしましょう。これに対し「いや、そういうことじゃない」と感じる気持ち……とすればお分かりいただけるでしょうか。
月に何度なら非日常!?
少なくともほぼ毎日となればそれは「日常」です。迷惑を感じる方にとって納得いかない心情が生まれることでしょう。
例えば私の場合、月に1~2度の特別寒い日やイベントで薪ストーブを焚くのなら、仕方ないなと思えます。これくらいなら私にとってぎりぎり非日常の範囲。これはバーベキューであっても同じです。
月に何度なら非日常というのは、人によって許容が異なる&発生している臭いの強弱にもよります。適した頻度を知るには、周囲の住民とコミュニケーションしながら模索していく必要がありそうです。
まとめ
薪ストーブという非日常を、日常に持ってくることの問題の可能性について書きました。
バーベキューも薪ストーブも、利用上の制限などは法律で定められていません。ですがどちらも住宅地においては非日常であり、無理に日常とするとトラブルに発展しかねません。
毎日バーベキューをすることが常軌を逸するのは分かるけれど、薪ストーブはそうは思わなかったな。
……という方は多いと思います。本当になぜでしょうね。
しかしながら、迷惑を感じている側としては根底にこのような感情を持ちあわせている可能性があるのは事実です。
シーズンまであと2ヶ月ちょい。これを期に住宅地では「非日常」としての利用についても検討いただければ幸いです。
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